KUG 
関東学院大学ラグビー部のスピリッツ
 

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25年前のシーズン、関東学院大ラグビー部監督に春口廣さんが招かれたとき、部員はわずか8人。グランドのゴールポストどころかボールさえなく、自ら先頭を切ってただひたすら走るゼロからのスタートだった。
リーグ戦3部から1歩1歩はい上がり、今や「大学選手権史上2校目の3連覇」に王手をかけるトップチームに育て上げた。

 『
階段を上るたび、見渡す景色が変わっていくのが楽しみだった』と春口監督。

この話は1998年1月10日。ラグビー大学選手権決勝の後半になります。「もう耐え切れないだろう」国立競技場に詰めかけたラグビーファンの大部分は明治大学の怒涛の攻撃にさらされ続ける関東学院大学に同情にも似た感情を持ち始めていた。
しかし、関東大は崩れない。不思議な力が紺と水色のユニホームを背後から後押ししているような光景が続く。そして、ラグビーでもっとも神聖な瞬間「ノーサイド」。日本の大学ラグビー史に新たなる1ページが書き込まれた瞬間です。しかし、この直後25年間同部を率いてきた春口廣監督にとって生涯忘れることのできない瞬間を迎えることになる。


1974年。春口監督が日体大の恩師・綿井永寿氏からの要請で、初めて関東学院大学のラグビー部に顔を出したとき8人の選手が小さなグランドの片隅に集合した。「残りの部員はどこかで練習しているのか」と思ったのだが、「これで全員です」という選手の声に帰りたくなったと言う。
神奈川県の教員になり、ラグビーの強豪高校の監督になることが決まっていた春口青年は、一転、三部の最下位ラグビーチームの部員集めに汗を流すことになる。「四年間、これだけはやったというものを作ろう」と手当たり次第学生に声をかけて歩いた。
そんな努力が実って就任5年目には何とか練習試合ができる26人まで部員が増えていた。「とにかく新聞に大学の名前を載せたくて、地方の大会に出かけていっては勝負をしていた」(笑い)
以後、年を重ねるにしたがい順調に大学ラグビー界での地位を固めて行ったかに見えた春口監督とラグビー部にも、大きな落とし穴が待っていた。「4年生の反乱」です。

 『
スポーツは勝つことを目標にしなければならない。しかし勝つこと
  ばかり考えて、ゆとりがないとスポーツそのものが貧困になってしまう


「今年こそ大学日本一に」という一昨年。部員は200名を超えていた。当然、学年に関係なくレギュラーは選抜される。関東学院大学ラグビー部には二つの約束がある。
一つは学年による区別はなし。もう一つは寮への入居である。
ある日、四年生の一部が「寮から出たい」と言い出したのです。退寮はイコール退部を意味する。話し合いが続いた。しかし結論が出る前に、大学選手権の決勝戦を向かえてしまう。「僕は運のいい男なんです。雪が降ったのが、決勝戦の当日ではなく前日だったんですから。。。」
圧倒的なパワーで押し出してくる明治大学とボールをつなぐ関東学院大学。雪のグランドでは明治大学に有利に働くことは明らかです。「ラグビー協会から、雪かき要員を出してくれという要望があったので、 四年生を隊長に雪かき隊を数隊編成して早めに出発させたんです。その中には退寮したいと申し出ていた学生もいました」
なぜ、全員で行動せず、数隊の雪かき隊を編成したのですか?
交通がマヒした場合のことを考えていたのですが、「あとで考えてみると四年生が本当に国立競技場に言ってくれるか不安だったのかも知れない」。
しかし、全員が見事に国立競技場に集結。「
彼らは足と手を凍えさせながら、見事にグランドの除雪作業をやってくれたんです
国立競技場のグランドの脇に雪が積み上げられた、珍しい光景を覚えている人も多いだろう。(Wataも覚えています。アナウンサーが学生さんが朝早くから除雪作業を行って見事なグランドになった。と解説していました。)
決勝戦のグランドに飛び出す直前、主将の箕内選手はレギュラー全員を眺めた、そして大声で叫んだ「
雪かきをしてくれた奴らのためにも勝つぞ!」。。。
決勝戦が始まりました・・・


そして大学日本一。(その喜びの瞬間は、試合後のロッカー室で味わった!)
グランドでセレモニーが終わった後の控え室。緊張感からの開放と勝利の喜び、ボロボロに疲れた身体。静かな感動が広がっていた。
その時、あの退寮を申し入れていた四年生が、はにかんだような顔で春口監督にいった。「
僕は僕なりにチームの役に立てました
その瞬間、春口監督は「頭の中が一瞬真っ白になって、次にああこれだ!と・・・」何のために今までラグビーをやってきたかのか。これからどうやってラグビーを指導すればいいのか。一つの解答が聞こえた。
「ラグビーはきつい・危険・きたないの3Kスポーツといわれています。しかし、きついのは勝負だからしょうがない。危険でないスポーツもないはず」。
ただ、そうあるからこそルールがあり、絶対的な存在としてレフェリーがいる。
ケガをしないように正しいラグビーを学ぶべきなのです。ラグビーは激しく楽しくなければならない。そのために最低限必要なものは何か。
それは仲間づくりなんです。
仲間とボールを持ち、仲間と前へ進み、仲間をサポートする。それが関東学院大学のラグビーです。まさに「継続のラグビー」の原点を、見た気がします。
                            神奈川新聞1999年10月8日版から抜粋。


話は戻して、今年(2000年1月15日)東京・国立競技場で行われた大学選手権決勝。史上2校目の選手権3連覇を目指した関東学院大学。
「継続のラグビー」関東大か、「魂のラグビー」慶応大か・・・で、注目された一戦は、慶応大の早いディフェンスに、得意の多彩なバックス攻撃が封じ込まれた。後半に入っても流れは変わらず、2分、22分とトライを奪われ、敵陣に攻め込んでも決め手に欠け、最後まで見せ場を作れず、7−27で慶応大に敗れ、三連覇はなりませんでした。
二連覇を達成した昨年に比べて戦力的に落ちたとの前評判あったが、決勝戦まで勝ち上がってきたのはすごいと思う。三連覇という目に見えないプレッシャー、周囲の期待も大きくなる。そんな中でのこの戦いぶりは、お見事というしかありません。
これからも関東学院大学ラグビー部のスピリッツは受け継がれて行くことでしょう。


実は、Wataも関東学院大学の卒業生なのです。2部(俗にいう夜学)出身ですけどね。 関東学院大学の校訓は「人になれ、奉仕せよ」です。 2000/1/16


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