『もう少しもう少しと、頑張ろうとしている時が一番幸せな時』 どなたでしたっけ?忘れました。 やっていてすごく充実感のある、 無心になって何かを追いかけるような感覚でしょうか。 真面目に一生懸命取り組んだ方ならどなたでも体験してるのかな? この言葉、Wataは大好きです。 2002/11/25 |
『天才は有限、努力は無限。』 故 中村監督(元エスビー監督) ※この言葉は現エスビー監督の瀬古選手を育てた 故 中村監督の言葉との情報を頂きました。 情報ありがとうございます。 2002/10/11 第84回全国高校野球大会(夏の甲子園)神奈川県代表の桐光学園硬式 野球部部長の塩脇先生が開会式で選手宣誓した船井剛主将を評した言葉。 率先してチームを引っ張る努力家とか。まさに努力で正捕手をつかんだのでしょう。 開会式での「あつい、あつい夏にすることを誓います」というフレーズは、夏の「暑さ」と熱戦の「熱さ」をかけたもの。「自分の言葉をベースにチームメートが付け足し、 顧問の先生に直してもらった」という異例の長文を、ほとんどミスなしでの さわやか宣誓も記憶に新しいですね。 2002/8/18 |
『メジャーで勝つチャンスなんてないと言ったけど、 やはりチャンスはあると、今、分かりました。』 丸山茂樹(プロゴルフ) 2002年最終日の全英オープン(スコットランド・ミュアフィールド) 丸山選手には世界の頂点がはっきり見えたはずです。 「青木さんができなかったことをやるのが、僕の役目」が口癖とか。 おそらくずっと前から勝つチャンスをうかがっていたのかも知れませんね。 80年全米オープンの青木選手は2位。それより上ということは優勝しかないです。 丸ちゃんスマイルで今後の活躍に期待しましょう。 2002/8/8 |
『次へ次へ、足を止めないで行かないといけない。』 中村俊輔(プロサッカー) 2002年7月21日、国立競技場でのプレーが国内でのラストショー。 さぁ、ハマのエースが「世界」へ羽ばたくときがきました。 横浜発、世界へ−。「うまくなりたい!」口ぐせのように繰り返してきた中村俊輔選手が 「また新人の時のような、全然力が通じないような環境でやりたい。そういうところに行って、自分に足りないものを見つけないといけない。」と自ら厳しい世界へ身を置くことで、さらなるランクアップを誓った。楽な道のりではないことは、十分分かっている。 「どの国に行っても、ユニホームが変わっても、いいプレーをし続ける」と スタンドを埋めた5万2073人の前で高らかに宣言。 「うまくなりたい!」そして「次へ次へと・・・。」、スポーツはこれにつきますね。 そのために厳しいトレーニングにも耐え前へ前へと進むのです。 がんばれ俊輔! 目指せ!世界のシュンスケ。 2002/7/24 |
『読売、桑田真澄、投手、17歳、PL学園』 伊東一雄(プロ野球解説者) 1985年11月20日の運命のドラフト会議。「読売、桑田真澄」と読み上げてくれたのが、 司会を務めたパンチョさんこと伊東一雄氏だった。Wataも記憶に残ってます。 あの親しみのある響き渡る声が・・・。しかし日本中が耳を疑った。 「あれからつらい、そして楽しいプロ野球人生が始まったと思うと…」(桑田真澄) 「あのパンチョさんの声は、ぼくの心の中にこびりついています。」(清原和博) 熱烈ラブコールを送る清原を巨人が指名することは確実視されていた。目を真っ赤にし号泣する清原、冷静さを保つ桑田。甲子園で3年間日本中を熱狂させたKKコンビは、この日から袂を分けた。時は巡り、同じユニホームで戦うが、歩んできた道のりは別模様。まさに、伊東氏は2人の運命の案内人だった。 2002年7月4日「パンチョ」の愛称で親しまれた伊東一雄氏が亡くなりました。 心からご冥福をお祈り申し上げます。 2002/7/14 |
『悔しいと思ったら、また強くなれると思う』 中村俊輔(プロサッカー) 選ばれなかったことは残念だけれど、選ばれたメンバーより、このあとで、 ワールドカップを経験した人よりも自分が強くなっていればいいと思う。 日韓共催W杯2002日本代表メンバーから漏れたときのコメントです。 一つ秀でた選手は重宝がられるものですが、私もかなり残念でした。 決勝トーナメントのトルコ戦、俊輔選手が蹴っていたらどうなっていたのかなー。 なんて考えたのは私だけでしょうか・・・。 次のドイツ大会では強くなった俊輔選手に輝いてほしいですね。 2002/7/02 |
『長野の勝ったメダルよりも、今回の負けたメダルのほうが (今後)アスリートとして大きく成長していけると思う。』 清水宏保(スピードスケート) スピードスケート清水宏保選手がソルトレークオリンピックで銀メダルを獲得して。 シーズン直前からの故障ということで満足な大会ではなかったようです。しかし、オリンピックに向けて持ち前の気力で調子を上げ銀メダルの結果はすばらしいと思います。 もっとも本人はこの言葉が物語るように負けた悔しさは次で晴らす。 と、また新たな「挑戦」の始まりを宣言しました。 現状に満足せず、素早く次の目標に目を向けるところが一流アスリートですね。 4年後のリベンジに期待しましょう! 2002/4/24 |
『ここまで夢を持ち続けてよかった』 永友洋司 (ラグビーSH、サントリー) 夢を夢で終わらせないための強い信念のようなものを感じます。 日本選手権決勝、神戸製鋼に勝ち2年連続3度目の優勝。 亡くなった佐治敬三氏(サントリー元会長)の「一番になってくれ」との約束も果たせました。30歳での引退に、早すぎるという声も多いですね。 でも永友選手は「世界も日本もラグビーは進化している。もっと若い人に任せるときだ」 と言葉に力を込めたとか。体力にはまだ自信もある。引退の最大の理由は気力の 衰えだという。高校、大学、社会人とすべての段階でトップ(アスリート)選手として活躍。 90年代の日本を代表する名SHにも休息が必要になったようです。 お疲れ様でした。また日本ラグビー界に必要とされる時がくるまで・・・。 2002/2/24 |
『夢は必ず叶うと思うんです。強い意志をもち、 必要なことを怠らず、チャンスを見逃さない。 私自身、これからも夢を追いかけていこうと思っています。』 川原亜矢子(女優&モデル) 11年前、言葉も話せないまま、自分の可能性を求めて海を渡った。 スーパーモデルとしてモードの本場パリコレのステージに立った、 モデルで女優の川原亜矢子さん。映画「キッチン」のヒロインで新人賞を総なめに しながら、単身で渡仏し、自力でトップモデルへの道を切り開いた。 「夢は必ずかなうと思うんです。」との言葉に実感がこもってますね。 176センチ、50キロの細く長い足。シャープなほおのライン、 しなやかな手の指が印象的です。 私も今年を節目の年として、チャンスを見逃さず、更なる飛躍を遂げたいと思います。 本年もどうぞよろしくお願いします。 2002/1/03 |
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