スポーツコラム 【68話.自分のほうから相手を助ける】
今回は、自分のほうから相手を助けると題して、ある大手企業のトップの「チームプレー編」のお話をご紹介します。
野球は5点取っても、6点取られたら負け。だからバッターにとって「勝つ」ということは、ピッチャーや野手のおかげですよね。一般の企業でいうと、バッターのような営業・販売部門の人間が売り上げの優勝杯をもらえるのも、守備側の生産部門のエンジニアがいい物をつくってくれたからなんです。また、そのエンジニアたちが安心し、喜んで技術開発、効率のいい生産活動ができるのも営業、販亮、宣伝部門がしっかり売ってくれるからなんですね。
エラーというものは企業の社員から社長にまで、やはりあるのです。会社として自信を持って作った製品が不完全だったり、他社の製品より劣ることもある。しかし、それを「会社があんなに投資をしてきたのに、うちは何を作っているんだ」というようなことを営業が言っていたんでは、矢面に立たされる研究・開発部門の人間はやる気をなくしてしまう。
その結果、その製品を踏み台にしてさらに優れた良い製品を開発、生産していくことにどこか消極的になってしまうものなんですよ。逆に営業がライバル製品をはじめ、業界や世間のあらゆるデータや傾向を、研究・開発部門に提供して勇気づけたらどうでしょう。「今回は勉強不足で迷惑をかけた。よし、今度は頑張って恩返し。名誉ぱん回だ」ということになるんでずよ。その結果に表れる全社、全工場の精神的、経済的なメリットは大変な差となって表れるのです。
こうした状況や立場はどこの部門単位にも起こり得ることで、こうしたときにこそ助け合い励まし合う。そうした気持ちになれるような人間の集団、会社であるかが生命線なんです。これこそが理想のチーム、理想の組織というべきでしょう。会社も野球もこの点では全く同じなのです。
野球の基本のキャッチポールは、相手の捕りやすい胸元へ投げ合って行うもの。緩い球にも速い球にもお互いの呼吸、リズム、タイミングや気持ちというものが自然に伝わる。宗教とさえいっていい魂の交流、魂の交歓のようなものです。そのキャッチボールを起点とする「チームプレーの心」を一言でいえば「自分の方から相手を助けていこうとする気持ち」のことだ。これを実行するプレーを行って初めて、連係プレーが成立する。観念的には分かっているが、相手がやらないから自分もやらないといって、相手に要求する性格のようなものではない。
この杜長の話通り、自分の方から人を助けていくという考えが、どの世界においてもチームプレーの基礎なのだと思います。「自分の方から相手を助けていこうとする気持ち」どのスポーツにも通じる精神かも知れませんね。
愛読紙(日刊スポーツ新聞より)の中から、多少文面はWata流に編集しました。2001/07/08
スポーツコラム 【67話.攻めに攻めて頂点へ! 井上康生】
全日本柔道選手権(4月29日、日本武道館)は、シドニー五輪男子100キロ級金メダリストの井上康生選手(22=綜合警備保障)が決勝で、4連覇を目指した篠原信一選手(28=天理大教)を攻め続けた末に優勢勝ち。3度目の対決で初めて勝ち、悲願の日本一に輝きました。
右の引き手を封じる頭脳戦から積極的に技を出して旗判定3―0で完勝し柔道ニッポンの主役交代。いよいよ井上時代の到来という印象を受けました。これで世界選手権(7月26〜29日、ミュンヘン)男子代表が出そいました。
篠原選手のパワーを封じたのは、組み手でした。昨年決勝は、間合いを保つため釣り手の右腕を突っ張ったが、今年は同時に左(引き手)を使い右(引き手)を封じ。押し負けることなく、逆に動き回って技を出した。4分すぎには大外、大内刈りを連発した。終盤には大内刈りで体重差32キロの王者をぐらつかせた。
平成10年、昨年と決勝で完敗し「僕にとって(世界)最強の人」という篠原との決勝戦。2週間前の練習中に右太ももの付け根を肉離れし、痛み止めを打っての出場だったが、何としても篠原選手に勝ちたい、という一念が痛みを吹き飛ばした。
赤い旗が3本。念願の優勝を決めた瞬間、しゃがみこんだ井上の目頭から、熱い涙が流れ出た。亡き母に捧げたシドニー五輪金メダルでもみせなかった感激のポーズ。「頭が真っ白になった。小さいころから大きい人、強い人に勝ちたいと思い続けてきた。最強の人とやれるチャンスをモノにしたかった」と、気迫の勝利でしたね。
五輪後、あいさつ回りなどのストレスから心臓神経症を発症。十分な練習時間を取れず、メダリスト特有の“燃え尽き症候群”にも悩まされたが、今月1日の選抜体重別決勝で兄・智和選手(25=警視庁)と対戦。必死に攻める兄の姿に原点を思いだし「ふっ切れた」という。「精神的にたくましさを感じた」とは、恩師の山下泰裕・全柔連男子強化部長(43)だ。
“最強の人”を破って念願のタイトルを獲得。それでも「すべて出しつくしたけれど、これで納得したわけじゃない」。7月の世界選手権は「準備不足」と無差別級出場を辞退、100キロ級の連覇に集中するが「いずれは国際大会の無差別にも出たい」。進化を続ける若武者は、さらに強さを追い求め7月世界選手権での99年バーミンガム大会に続く100キロ級連覇に挑む。2001/05/03
スポーツコラム 【66話.難コースを楽しんで回り好成績 伊沢利光】
伊沢選手のスイングが、目の肥えたオーガスタの観衆を魅了した。拍手とともに「トシ!」「イザワ!」と名前を呼ばれる。67はこの日のベストスコア。ドライバー飛距離は出場選手中7位だった。これまで8位が日本選手最高位(中嶋と尾崎将の)だったが、これを「4位」に塗り替えた。15番ロングで今大会3個目のイーグルを奪った。300ヤード級のビッグドライブを放ち、残り205ヤードの第2打は4番アイアン、高い弾道でピン手前4メートルにつけた。「日本でやっている通りのゴルフ」。自分の力を存分に発揮し日本選手の潜在能力を世界にアピールしてくれました。
オーガスタの丘を吹き抜ける風を気持ちよさそうに受けながら、伊沢選手は18番グリーンに上がってきた。約2メートルにつけたバーディーパットはわずかに外れたが、67で終了。第2ラウンドの66に続き、今大会2度目のベストスコアタイだ。青木功も、尾崎将司も、中嶋常幸もなしえなかった2けたのアンダーパーに、4位の好成績。胸の前で両手を広げて小さな万歳。「大満足」。短い言葉にうれしさがこもっていた。16位からスタート。難ユースを、ゆったりと楽しむように回った。2番、リラックスしてできた」と言い、応援するファンに、笑いかける余裕もあった。来年の出揚権が得られる16位以内が目標だったが、自分のプレーに集中していた。
ドライバーでは290ヤード近くのビッグドうイブを繰り出し、スピンの効いたアイアンショットでグリーンをとらえた。前半の3バーディーで通算8アンダーとし、再び上位に進出。12番(パー3)のポギーでスコアを落としたが、最後のロングホール、15番で205ヤードの第2打を4番アイアンで5メートルにつけて、これを沈めイーグル。さらに続く16番でもバーディーを奪い、一気にリーダーボードを駆け上がった。
170センチの体からは想像むできない豪快なゴルフ。4日間で計16あるロングホールでは3イーグル、7バーディーを奪い、目の肥完たファンの注目も集めた。「トシーとかイザワーとか声が掛かった。だいぷ名前を覚えてもらったかな」と書い、目じりを下げた。
これで、米ツアー獲得賞金も45万400ドル(約5630万円)となり、昨年のシード権ラインを上回った。いつでも参戦可能となりました。
「世界のIZAWA」へ! 夢への扉は開かれた。 2001/04/14
スポーツコラム 【65話.個とチームの中で
ワン・フォー・オール】
「個性の尊重」、あるいは「個の自立」という考え方が大きな声となってきている。それは束縛から解放された「自由」につながる概念でもあり、そのこと自体、素晴らしいことです。
だが、例えぱ成人式での若者らの無軌道ぷりを目の当たりにしたとき、また、暴走族がテレビの取材に「迷惑をかけることが楽しい」と平気でしゃべっているのを聞いたとき、憤慨するとともに、むなしさを感じてしまう。「個性」は独善となり、「自由」はわがまま勝手になってしまっている。
どんな世の中になっても、人間は一人では生きていけない。人々が支え合ってこの社会は成り立っている。磨き抜かれた「個」のぷつかり合い、競い合いがスポーツの感動の原点だが、スポーツの世界でも一人では何もできないのです。陸上、水泳などリレーを除けは個人種目である競技であってもそう。シドニー五輸の女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子選手は、こう言った。「監督がいて、コーチがいて、栄養士さんがいて優勝できた。私を含めてそれぞれが、それぞれベストを尽くした結果です」。五輸の水泳代表の選考をめぐって、干葉すず選手の一連の言動が注目された。結果は別として、選考経過の透明化が進んだ功績は大きなものがあった、しかし、県内の有力校の指導者は、干葉選手の「こんな大会」というちょっとした発言を疑問視した。どんな大会であれ、清掃し、コースのロープを張り、タイムを測るなどさまざまな人々が支えている。
「奉仕の心」「感謝の気持ち」を忘れてはならないと指摘したのです。
野球やサッカーのように集団で競い合う競技はいうまでもないだろう。高校野球史上初の年間四冠に輝いた横浜高の名伯楽・渡辺元智監督は、松坂大輔投手(現西部)ら当時のナインは入学時から実力が抜きんでた個性派ぞろいだったが、最も苦心したのはチームワークづくりだったと振り返っている。
松坂投手の優勝の帽子には「ワン・フォー・オール」の文字が書き込まれていた。一人はみんなのためにというチームスピリットだ。いかに卓越した技量の持ち主であっても、チームメートの協力がなくては勝てないし、第一、一人ではゲームさえできないのだ。それぞれの輝く個性が存分に発揮できる社会。その到来を強く願う。一方で、個の違いを互いに認めつつ他者への優しさ、思いやりという共通軸を当たり前に持つ社会の実現を心から願う。
個を磨きつつ共存共生する社会。スポーツを愛する心は、健康でありたいという自然な欲求です。肉体の健康、精神の健やかさ、これもまた人々の支えがなくては成り立たない。英語で訳すと「health」で、繁栄という意味もある。人間は、地球というでっかいグラウンドで、運命共同体のチームを組んでいる。
私の愛読紙(神奈川新聞より)の中から、文面はWata流に多少編集しました。2001/03/20
スポーツコラム 【64話.22キロから独走V、アテネの新星 渋井陽子】
『なんでも大丈夫なんで。心、体?
両方とも大丈夫です。』
渋井陽子(女子マラソン)
大阪国際女子マラソンでの初マラソンでの世界最高記録で優勝したときのインタビューにて。
スタート直後は小雨、8キロで雨が上がると、12キロで日が差した。
25キロ付近で大粒の雨。最後はまた晴れた。
こんな悪条件にも鈴木監督曰く「性格が勝負事に向いている」。
故障したことのない体同様気持ちも強い。新しいタイプの選手が誕生しました。
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大阪国際女子マラソン(28日、大阪・長居陸上競技場発着42・195キロ)は、初マラソンの渋井陽子(21=三井海上)選手が22キロ過ぎから独走し、2時間23分11秒の初マラソン世界最高記録で優勝しました。高橋尚子(28=積水化学)選手の日本最高記録とはわずか1分24秒差の日本歴代4位、世界同12位にあたる快記録で、8月の世界選手権(カナダ・エドモントン)代表に内定。世界最高記録、そして2004年アテネ五輪が楽しみになってきました。
最初の5キ日を5分40秒で入り、先頭集団は三人に。その後も5キロを16分台後半のハイペースで刻み続け、22キロすぎから独走した。「自分のリズムでいったら一人になっていた」。35キロ以降は、さすがに足は鈍ったが、後半まで世界最高もうかがうぺ-スで押し切り、快挙を達成。ゴールの瞬間、小さく右手を振り上げた。2時間23分11秒で駆け抜けた初めての42・195キロ。雨が降ったり止んだりした気まぐれな浪速の空も、最後は太陽が姿をみせ、新たなヒロインを照らし出した。
「監督にラップをもらってたんですけど、24分台狙いだった。自分ではもっといきたかった」
2時間24分30秒前後を想定して鈴木秀夫監督が渡していた目標ラップを無視。左手首に書いたのは、昨年大会新をマークした弘山晴美(資生堂)選手とシモン(ルーマニア)選手の30キロ通過タイム「1・41・17」だった。これを目安にし、日本最高記録(2時間21分47秒)も狙っていたそうだ。
聞くところによると、日本選手には珍しい前傾姿勢のピッチ走法で腕の振りを活かし、足の爪先から先に着地する走り方。これは大腿部の前側の筋肉が強いからできる天性のもの。鈴木秀夫監督は、高2の夏にその前傾姿勢を見て惚れこんだそうです。専門家が見ると何かが伝わるのでしょうね。「監督と土佐先輩のおかげです。おととし土佐先輩は(米国)ボルダー合宿ですごく速くなって帰ってきた。負けたくなかったし、一緒に走れるようになりたいと思った」
同僚の土佐選手に続く世界選手権の代表切符獲得。「今度はもっといい記録で勝負したいです」と、満面の笑顔で宣言した。
下ネタもOKの明るい性格で、趣味は笑うこと。給水ボトルには自分で「笑顔! トップでゴール」と書いておいた。次の目標はもちろん世界選手権。世界最高記録。そして2004年アテネ五輪。若い渋井選手の未来は無限大に広がっている。昨年、急成長したホープが今度は世界へ名乗りを上げました。 2001/02/12
スポーツコラム 【63話.全国大学ラグビー、関東学院が2年ぶりV】
ラグビーの第37回全国大学選手権最終日は13日、東京・国立競技場で決勝を行い、関東学院大が史上初となる法大との関東リーグ戦勢同士の対決を(42-15)制し、二年ぶり三度目の大学日本一に輝きました。関東大は前半、SH春口選手の先制トライで試合の流れをつかみ、17-7とリードして折り返し、後半もWTB水野選手が2トライを挙げるなど攻撃の手を緩めずに差を広げ、快勝。1961年創部の関東大は今季、関東大学リーグ戦グループで二年運続五度目の制覇を達成。11年連続(11度目)出揚の選手権でも準々決勝の早大、準決勝の同大を打ち破って波に乗った。四年連続の決勝も、安定感のある戦いぷりを最後まで見せつけ、みごと王者に返り咲きました。関東大は2月11日からの日本選手権に出揚。ラグビー日本一を目指す。
3万5干人の観客を集めた国立が、青と水色に揺れた。猛然と襲う法大タックルをSO今村友選手がキックでさばく。ライン参加したPR久富選手の接触、WTB水野選手の突破、ラック連取の継続が光る。関東学院大は筋書き通りにラグビーを進め、王座奪還という最高の形で物語を完結させた。飛び抜けた才能をもつ選手はいない。だが個々の役割を確実に行う「全員」の力がある。六つのトライがすべてを物語る。水野選手の2トライ以外、違う選手が法大インゴールを奪っている。
前半29分。巧みな戦術を見せる今村友選手からの飛はしパスが、後方から快足で上がったFB角浜選手に通る。そして、ラインの援護に回ったFW蔵選手が右サイドを走り抜け、決める。「法政のタックルは怖くない。正面に出てくる守備のポイントをずらせぱ穴は出てくる」。そのプレーをCTB水田選手は自信を見せ、説明した。
慶大が準決勝でキックを極力減らすスタイルに固執した結果、法大の守備網にはまったことを研究していた。今村友選手のキックで地域をばん回し、敵陣で継続に移る確実なプランを実行。インブットされた対法大のプログラムは、寸分の狂いもなかった。感涙する春口監督が「一人ひとりの力」を強調するのには訳がある。絶対的な司令塔、前主将の淵上選手が抜けた、今季は、下馬評では慶大、同大に下回るとも言われた。FL米元選手は「頼る存在がいなくなり全員の意識が変わった。それが攻撃に幅を持たせ、どこからでも得点できるようになった」。
四大会運続の決勝出場で三度目の優勝を遂げた。だがスター不在の今回の栄冠は、これまでと意昧が異なる。SH春口選手が言う「個人の力じゃない。控えを含めた組繊の力。また次に十分つながる」新世紀の幕開けに見せた関東大のラグビーは、末来に「継続」されることでしょう。
一枚岩の団結力も生んだ。この日水係りなどの雑用は控えの4年生が買って出た。
春口監督は今回の優勝をこう表現しています。「雑草にも花は咲く」と。
「継続」の関東大ラグビーは健在でした。 2001/01/27
スポーツコラム 【62話.箱根駅伝。復路で実力発揮し神大は総合5位】
第77回東京箱根間往復大学駅伝最終日は3日、箱根・芦ノ湖駐車場から東京・大手町までの復路5区間、109・2キロで行われ、往路2位の順大が通算11時間14分5秒で連覇を狙った駒大を抑え、1999年の第75回大会以来、10度目の総合優勝しました。前日2日は、中大が5時間43分0秒で37年ぶり15度目の往路優勝を果たしましたが復路は順大、駒沢が前評判通りの実力を発揮しました。順大は出雲、全日本大学の両駅伝に続く制覇で、1990年度の大東大以来、史上2校目の大学駅伝三冠を獲得。
さて、神奈川大は往路1区で飯島選手が区間2位の好スタ−トを切ったが、その後が伸びずに5時間54分58秒の12位と大きく出遅れました。「この調整をやってきても走れない。何が悪いのか分からない。どうすればいいのか」。大後栄治監督(36)も不調の理由すら解明できず、ぼう然とした様子で往路を終えました。昨年の5区(区間最下位)のような、ブレーキらしいブレーキはなかった。それだけに、今回の結果はショックが大きい。2区以降は、常に区間10位前後。エースがいなくても安定してたすきをつなぐという、これまでの神大らしさはまったく見られませんでした。
翌日、往路12位と出遅れた神奈川大は、7、8区と区間2位の好走でぐいぐいと追い上げ、復路は5時間31分34秒で3位。通算でも11時間26分32秒の5位に食い込み、往路は完ぺきの仕上がりでした。往路でしわくちゃになったプラウドブルーのたすきは、一夜にしてその誇りを取り戻した。が、神奈川大の往路になくて、復路にあったもの。それは何だったのか−。
復路の勢いを決定づけたのは、8区2位の四年林健太郎選手でした。林選手は前回、大会直前に風邪をひいて5区で区間最下位の大ブレーキとなってしまった選手。一年前の自分を思い出し、そしてこの一年間の練習で得た自信を胸にたすきを受けた。
「去年は(復路の)先輩たちにシード権を取ってもらった。今回は僕が、実力を発揮できなかった三年の来年のために頑張ろうと思った」とオーバーペースも気にせずに、がむしゃらに前を追った。スタミナが切れた戸塚中継所前の最後の坂も、崩れそうになりながらも乗り切った。
「復路は完ぺきだった」と工藤伸光総監督(58)。大後監督も「これだけ走れるんだから、練習方法は間違っていなかった。やるべきことはやってきたと思う」と確信を深めた。では、往路に足りなかったものは?。「自分を厳しい状況に追い込んでこなかった選手は、結局本番で走れない」と大後監督は結論づけた。「問題は練習の内容じゃなくて、選手に危機感がないということ。学生主体のチームは理想だが、自分で自分を追い込める選手がいないのであれば、言っていかなければいけない」。同監督は、コーチとして選手とともに走り、無名の選手を鍛え上げていった10年前と同じように、接し方を変えていくつもりでいる。大事なのは、選手が勝ちたいという気持ちを持続して練習に臨めるかどうかだと。。。
試合後のミーティングで大後監督は「今日は四年生にシード権をプレゼントしてもらった」と林選手と同じ言葉を口にし、こう続けたそうだ。「走れなかった選手は、何が自分に足らないか、よく分かったと思う」最上級生が見せた気持ちの強さを全員が持てるように。「新生神大」の挑戦は、今日から始まりです。
何が自分に足りないか「冷静に分析して実行に移せる選手が最後は実力以上のものを発揮する」ということを言いたかったのかも知れませんね。来年の雪辱に期待したいと思います。 2001/01/05
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